映画の海に漕ぐ

ランダムに借りてきたDVDで観た映画の記録

ジョゼと虎と魚たち

ずいぶん前から見よう見ようと思っていた映画をやっと借りてきた。
妻夫木聡池脇千鶴が共演した「ジョゼと虎と魚たち
作家の朝井リョウが、小説(確か「桐島、部活やめるってよ」だったと思う)の中で、登場人物に「絶対観た方がいい」というようなことを言わせていた映画で、とても気になっていたのだ。高校生のセリフだったはずで、実際観てみると、なるほど、そのくらいの年齢の若者に響くであろう、言い方を変えれば、響いてほしいと思える作品だった。私のようにすっかりオバサンになった者が観ても、確かに感じるものがあり、それはとてもくっきりとしたものなのだけれど、言葉で、これこれこういうことを感じた、と言ってしまうのは無粋な気がする。
それはおそらく、この映画が、「詩」と同じ種類のものだからではないだろうか。
そういえば「桐島、部活やめるってよ」を読み終えたとき、即座に最初から再読したのを覚えている。そんなことをした小説は、今のところこの一冊だけだ。思うに「桐島、__」もまた、私にとっての「詩」だったのだろう。

コードブルー --ドクターヘリ 緊急救命 --

今日はDVDでなく、映画館で映画を観てきた。
山下智久主演の「コードブルー --ドクターヘリ 緊急救命 --」
このシリーズのテレビドラマも過去の映画も、一度もみたことはなかったが、存分に楽しめた。泣き所も多く、気持ちいいほど涙が出た。
こんなに泣けたのは、私自身が一度でいいから誰かにかけて欲しかった言葉を、この映画の中で聞くことができたからかもしれない。
ナレーションの中に「心」という言葉がキーワードのように出てきて、目に見えない厄介なそれとのつきあい方が、その人をその人たらしめるのだろうと思わされた。
登場人物が皆、それぞれにチャーミングなキャラクターで魅力があり、素敵な作品だと思った。

きみに読む物語

2004年のアメリカの映画「きみに読む物語」を観た。
内容としては分かりやすいラブストーリーだった。構成の仕掛けによって感動が増幅したように思うが、見終わった直後は、言葉に出来ない何かがまっすぐ胸に届いてきた。
たったひとりの人を、文字通り死ぬまで深く愛し続けることは、現実には難しいのだろう。この映画が全米で大ヒットしたのは、そのことへの憧れを多くの人が持っているからのように思う。
この映画によって「ひとりの人を生涯愛し続けること」の、いやおそらくは「ひとりの人と生涯愛し合うこと」の素晴らしさを感じた。それができたら、なんて豊かな人生だろうと。そして、そこまで思ったとき、是枝監督の映画「海よりもまだ深く」の中のセリフを思い出した。
バツイチの息子に70歳くらいの母親が言う「あたしは海よりも深く誰かを好きになったことなんてない」という言葉。さらにこう続く。普通の人にはそんなことはないものだけれど、それでもみんな生きていくのだと。私はこの「海よりもまだ深く」がとても好きだ。これほど骨の髄まで響いた映画はないと言えるくらいに、私の中では他の映画とは一線を画したものになっている。
きみに読む物語」に話を戻すと、原書の「The Nootbook 」は恋愛小説の金字塔と呼ばれていて、NYタイムズで56週連続ベストセラー入りを果たしたのだとか。主人公たちの深い愛が小説の世界でどう描かれているのか(もちろん原書が先なのだけれど)、読んでみたい気がする。

あやしい彼女

「青春なんて若いヤツにはもったいない」という言葉があったように思うが、若いときには、若さがどんなものかはわからないものだ。
 今日観た映画「あやしい彼女」は、孫のいるおばあちゃんの肉体だけが50 歳も若返り、しばらくの間若者として生きるという内容だった。戦後の貧しい時代に、子どものため、孫のために、人生を捧げてきたおばあちゃんが、若い肉体を手に入れて好きなように生きる、という爽快さがあった。その中で親の子に対する思いや、子の親に対する思いも描かれていて後半は泣けてしまった。親子の情にふれるとすぐ涙が出るのは、私が年をとったせいばかりでなく、私自身が子どもたちから慕われていないのではないかという不安があるからのように思える。そして、慕われたいという欲を持っている自分にがっかりする。慕われても慕われなくても、子どもたちが自分の人生を生きてくれればそれでいいのだから。
この映画のように、もし私が、頭の中はそのままに今の時代に肉体だけ20歳に戻ったら、どんな風に行動するだろう。これまでの反省を元に、今とは違う人生になるよう別の道を選ぶかもしれない。後悔の多い人生だと思ってきた。でも、あのときこうしておけばよかったとか、ああすればよかったとか、いろいろ悔やんでいることをよく考えると、そうする能力があったなら、そうしていたのではないかと思えてくる。結局私の後悔は、自分の能力不足を知らずに自分には出来ないことを高望みした結果に過ぎないのだ。お金や時間があれば、というのも、お金や時間を生み出す能力がなかったせいでもある。そのときの環境を受け入れた自分を許して後悔することをやめた方が、この先幸せな時間を多く持てそうな気がする。後悔すること自体が楽しいならやめる必要はないのかもしれないが、もっと楽しいことが、いくらでもありそうである。

8月の家族たち

最近、よくツタヤに行ってDVDを借りて観ているので、何を観たかの記録も兼ねて感想なども書いておくことにした。
今日観たのは、メリルストリープとジュリアロバーツが共演した「8月の家族たち」
何か笑えるものが観たいと思い「コメディ」の棚から選んだのだが、笑えるような感じではなく、むしろシリアスな内容だったように思う。しかしDVDのケースに貼られたシールにも、タイトルの上に小さく「コメディ」と記されていた。
私の見方が一般的でないのだろうか。
印象に残ったセリフが2つある。
家族のことを「たかが人間でしょ。無作為に選ばれた細胞の遺伝子で偶然繋がっているだけ」と言ったのと、「生きてりゃ追い込まれることってある」
血が繋がっているから許せることもあれば、血が繋がっているからこそ許せないこともある。後者の場合、細胞の遺伝子で偶然繋がっているだけだと思えば、少しは気が楽になるかもしれない。